東京高等裁判所 昭和38年(ラ)600号 決定 1965年7月16日
抗告人 牧田友子(仮名)
相手方 牧田良男(仮名)
主文
1 本件抗告中夫婦同居の申立を却下した原審判に対する抗告は、これを棄却する。
2 婚姻費用分担の申立を却下した原審判を取消す。
相手方は、抗告人に対し、金一八万七、五四八円及び昭和三七年四月一日から長女高子及び二女清子が成年に達するまで毎月末日かぎり一人当り金二、五〇〇円の支払をせよ。
理由
抗告代理人は、「原審判を取り消す。本件を東京家庭裁判所に差し戻す。」との裁判を求め、その抗告理由は、別紙記載のとおりである。
よつて按ずるに、本件記録及び控訴人(本件抗告人)、被控訴人(本件相手方)間の当裁判所昭和三六年(ネ)第二五六四号離婚請求控訴事件の記録によると、次の事実が認められる。
(一) 抗告人と相手方とは、昭和二二年一一月二六日結婚式を挙げ、東京都○○区○○町一丁目一二番地二にある相手方の両親(父牧野吉造、母牧野ツユ)の居宅に右両親と同居し、同月二八日婚姻届を為し、昭和二三年一二月八日長女高子を、昭和二五年九月二日二女清子をもうけたこと。
(二) 抗告人と相手方とは、相手方の両親と同じ家に住み、生活を共にしたが、相手方の父吉造は、婚姻当時齢六〇を越し、徒食していたので、一家の生活費は、その大半を相手方が勤務先特別調達庁から支給される給与に依存し、当時の国民一般がそうであつたように、戦後の窮乏生活に耐えていたのであるが、抗告人は、実家が紙文具商を営み、給料生活者に比較し、ある程度経済的にゆとりのある生活をしていたため、公務員の乏しい給料生活に耐えられず、一方、家計は姑ツユが管理して抗告人の関与を認められなかつたことなどのため、勝気な抗告人は、婚姻後数ヶ月を出ずして姑と衝突し、相手方に両親との別居を迫り、相手方の薄給を軽侮し、日常瑣末なことで舅姑と言い争い、家庭内に風波が絶えなかつたところ、昭和二四年二月頃長女高子の襁褓の洗い方で姑を難詰し、翌日頃無断大阪の実家に帰り、約三ヶ月滞在してからは自儘な性格を露骨にあらわしはじめ、その後昭和二六年七月頃までの間些細なことに立腹して数回無断で実家に帰り、その都度約二ヶ月ないし約一年間相手方の許に戻らず、舅吉造が昭和二七年七月頃所有株式を処分して居宅の隣地を借り、ここに抗告人夫婦のため家屋を新築し、生計も別にし、家庭内の和合を図つたのであるが、抗告人は、右新築家屋の所有名義が姑ツユの名義になつていること及び舅吉造が右家屋の家賃を徴することに不満を表明し、相手方及び両親の努力を認め、家庭和合に協力する誠意を示さないのみならず、相変らず相手方の公務員としての豊かでない生活を軽侮する言辞を弄し、昭和二九年六月頃舅吉造が丹精して育てている柿の木のそばで焚火をしたことについて吉造から注意され、吉造が右柿の木の周囲に柵を設けるや、通行の妨害になると吉造を難詰し、右柵を取除かせるべく所轄警察署に訴え出る始末で、相手方及び吉造も離別のほかないと決意し、その頃吉造から抗告人の父本田松吉に抗告人の引取方を連絡し、抗告人は、同年七月子供二人を残し、大阪に帰り、妹岡田啓子が経営する○○幼稚園内に居住し、昭和三〇年三月上京の上相手方に無断で長女高子及び二女清子を連れ去り、右幼稚園内で右子供二人と暮していること。
(三) 相手方は、婚姻当時特別調達庁に勤務していたが、その後昭和二四年六月一日総理府技官となり、昭和二七年一〇月一日建設技官に任ぜられて建設省○○地方建設局に勤務して現在にいたり、その間、昭和三一年暮頃後に両親の養子となつた田村京子と事実上の夫婦となり、昭和三三年一月九日同女との間に男子初男をもうけ、資産として見るべきものはなく、自己の給与により、京子及び初男の生活を維持しているほか両親の扶養も為し、給与は、昭和三五年三月分支給額二万二、四六〇円現金支給額約二万七、四〇〇円、昭和三八年一月分支給額三万三、四〇〇円現金支給額二万八、三九八円、昭和三七年一二月分(勤勉手当期末手当を含む。)支給額一二万六、一三一円現金支給額一一万二、五五〇円であり、居住家屋は京子所有のもので住居費はかからず、父吉造が年間五万円ないし六万円の株式配当を受けていること。
(四) 抗告人は、昭和二九年七月相手方の許を去り大阪に帰つて以来○○幼稚園内に無償居住して同幼稚園に勤務し、同幼稚園から、昭和三六年八月当時一ヶ月八、〇〇〇円、昭和三七年四月当時一ヶ月一万五、〇〇〇円の給料の支給を受け、長女高子は昭和三九年三月中学校を卒業し現在高等学校に在学中、二女清子は昭和三八年四月以来中学校に在学中にして、右二女にピアノその他の稽古を習わせているので、中以上の教育費を要し、教育費も入れ一ヶ月約三万円の生活費がかかり、自己の給料で不足の分は親戚の援助を受けていること。
以上認定の事実に基き、抗告人の本件申立について考えると、抗告人と相手方との婚姻関係は、昭和二九年七月頃から継続し難い状態となり、そのような事態に立ち至つたについては、抗告人が我を押し通し、相手方と協力して家庭円満を図る努力を尽さなかつた協力義務違反にその原因の大半を求むべきであるので、相手方をして離婚の決意を為すに至らしめたのは、理由のあることであり、従つて、相手方が抗告人との同居及び抗告人に対する子供二人の養育費以外の婚姻費用の分担を拒むのは、正当な事由に基くものというべきであるので、同居の申立及び抗告人自身の生活保持に必要な婚姻費用分担の申立は、これを認容するかぎりでなく、右申立を却下した原審判は相当にして、これに対する抗告は棄却すべきであるが、他方、婚姻費用分担の申立中長女高子二女清子の養育費の請求について考えるに、婚姻費用の中には未成年の子の養育費も含まれるものと解すべきであるから、抗告人のように正当な事由に基かずして別居中の配偶者であつても、相手方配偶者に対して、その支給を請求しうるものと解すべく、これと異なり抗告人が相手方の手許に養育されていた子を無断で自己の監護下に置き、相手方の連戻しの要求に応ぜず、その監護についての協議も整わないことを理由として、原審がこのような場合には子自身から扶養料の請求をなすべきものとし、抗告人のなす子の養育費の請求を却下したのは失当で、この点原審判は取消を免れない。そこで、養育の程度及びその額について考えるに、前認定の抗告人相手方双方の家族構成、資産収入関係等を考慮するとき、相手方としては、高子及び清子が成年に達するまでその養育費を分担する義務があるものというべく、その額は、抗告人が大阪家庭裁判所に婚姻費用分担の調停を申立てた昭和三四年八月二四日から昭和三七年三月三一日まで高子及び清子の養育費として一ヶ月金六、〇〇〇円(この合計金一八万七、五四八円)、昭和三七年四月一日から高子及び清子が成年に達するまで一人当り一ヶ月金二、五〇〇円の養育費を分担するのが相当であり、養育費の請求は右の限度において認容すべきである。
よつて、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 仁分百合人 裁判官 小山俊彦 裁判官 渡辺惺)
抗告理由 省略
参考
原審判(東京家裁 昭三六(家)一一六五四、一一六五五号 昭三八・一〇・四審判 却下)
申立人 牧田友子(仮名)
相手方 牧田良男(仮名)
主文
本件申立はいずれもこれを却下する。
理由
申立人は相手方に対し同居並に同居に至るまでの婚姻費用の分担を求めた。当裁判所は調停委員会による調停を試みたところ、合意の成立する見込なく、調停は不成立に帰した。
よつて、当裁判所は事実を調査し、後記目録記載の各記録中の各証拠を綜合すると次の事実が認められる。
一、申立人と相手方はいとこ同志であつたが昭和二二年一一月二八日婚姻し、同二三年一二月八日に長女高子が、同二五年九月二日に次女清子が生れた。
一、婚姻後は本籍地に於て相手方の父母と共に共同生活を営んでいたが、間もなく申立人は、相手方の母との折合が悪くなり、次第に両親との争が増して来た上相手方の公務員としての給与による生活に堪えず、不満をもちこれが言動にあらわれるようになつた。その原因は申立人は気の強い性格で他との協調性に欠け、さ細のことにも興奮して他に当る態度に出ることによるものと思われること、
一、申立人は長女高子の出生後は紛争のある度に大阪の実家に帰り、その回数は再三にわたりその都度相手方が連れ戻つたりしたが昭和二六年七月相手方と争い子供二人を連れ実家に帰り戻らず、申立人は相手方両親との別居を強く希望するので、相手方は昭和二七年六月従来の居宅の敷地に両親の協力を得て十坪程の住宅を新築し大阪へ行き申立人を説得の上、同年七月帰京し、やがて新築家屋に両親と離れて生活することになつたが、同一敷地内に住居している為、依然として相手方の両親との衝突はさけることができず、警察の厄介になるような有様であり、申立人は言い争いの挙句興奮して時には、相手方やその親達に暴言をはき、相手方とその母とは醜い関係があるなどと侮辱するに至つたこと、
一、昭和二九年六月申立人が庭の柿の木の下にごみを捨てたことに端を発して右のような争となり翌月初旬頃申立人の実家から叔父本田梅次らが上京して申立人は相手方と二人の子を置いて、大阪に帰ることとなり以来別居状態が続いていること、
一、同三〇年三月申立人は上京し子の引取につき相手方と協議がととのわぬまま、無断で二人の子を引き連れ大阪に帰り、相手方の連れ戻し要求を拒みその後は申立人の手許で申立人の方針により監護養育をしていること、
一、このような経過から相手方はすでに双方の婚姻関係は破綻に瀕したものとして、同三〇年六月一六日当庁に夫婦関係調整調停の申立をなしたが、合意に達せず、日時は経過するばかりであつたため、遂に当裁判所において同三五年三月三十一日、調停に代る審判がなされ、申立人と相手方は離婚する。子の親権者を申立人と定める。とされた外、財産分与、養育料などが定められた。
この審判に対しては申立人から適法な異議申立があつたため、審判は効力を失い、相手方はまもなく、東京地方裁判所に離婚の裁判を求め同年(タ)第一四八号として事件係属の上、同三六年九月二七日終結した口頭弁論に基づき同年一一月八日原告(相手方)と被告(申立人)を離婚する。子の親権者を被告と定める。旨の判決が言渡され、右審判および判決においてはいずれも相手方の主張する民法第七七〇条第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な理由があるものと認定されているところ、申立人はこれを不服として現に東京高等裁判所に於て審理中であること(同裁判所昭和三六年(ネ)第二五六四号)
一、一方申立人からは前記調停継続中の昭和三四年八月二四日大阪家庭裁判所に対し同居ならびに婚姻費用の分担についての調停が申立られ、この事件は同三四年一〇月一二日当庁へ移送する旨の決定がされ、当庁に於て同年一二月二一日以来期日を重ねること十余回これまた合意に至らず本件審判に移行したこと、
一、相手方は婚姻以後は公務員として特別調達庁、総理府を経て現在は建設省に建設技官としてその給与は昭和三八年一月当時月の支給総額金三万九、三三九円税金等を控除すればその現金支給額二万八、三九八円で、不動産等の財産は殆どなく、肩書住所でつつましく暮して居り、本件婚姻関係が継続し難いものと考え昭和三〇年頃より他の女性と同棲し一子を儲けている。相手方は比較的温和な性質と思われ、父母との結びつきも強く、すでに見られたように申立人との離婚を希望していること、
一、申立人は最後の別居後は妹の経営する幼稚園を手伝い月一万五、〇〇〇円程の収入と内職や近親の援助により子等との生活を維持していること、
右認定の事実その他後記証拠資料にあらわれた一切の事情を考慮すると申立人と相手方の婚姻関係はすでに、少くとく昭和二九年七月頃から継続し難い状態にあり、そのような事態に立ち至つたのはすべて申立人の責任であるとは云えないけれど、申立人が我がままであつて他との協調力に乏しく紛争の上は興奮して冷静をかき、一足下つて円満解決のため理性に基く判断をなすの行動をとり難く、実家に逃避することの繰返しが却つて夫婦とその親達の間の溝を深めるに至つたものと考えざるを得ず、申立人の本件婚姻関係の破綻についての責任は相当大であるといわねばならない。相手方が離婚訴訟の解決をまたずして他の女性と婚姻の関係を結んだことは勿論これを是認するわけではないが、その以前にすでに申立人の責に帰すべき婚姻関係を継続することのできない重大な事由が存したものと考えられるのでこれによつて申立人の責任を軽減することは妥当でない。上記のように考えると、すでに申立人の責に帰すべき事由により婚姻関係が破壊されその後の調停によつても好転の見込すらない状態にある本件にあつては申立人からする同居の請求はこれを許容するに余地なく、申立人の請求する婚姻費用の分担についても、同様に申立人側に共同生活についての協力義務違反を認めざるを得ないから、右費用の分担請求もまたこれ認容することができない。尤も婚姻費用の中には現に申立人の養育する二人の未成年の子の生活費を含むと解すべく、右子らには本件婚姻関係の破綻につき何等の責任もなくむしろ被害者の立場にあると思われるが、本件のように申立人が相手方の手もとに養育されていた子を突然無断で自己の監護におき相手方の連れ戻しの要求にも応ぜず子らの監護につき何らかの協議すら整わぬ場合にあつては子自身からする正当な代理人による扶養料の請求をなすことはできても申立人からする子らの養育料の請求-婚姻費用分担としての-はこれまた許容すべきでないと解される。
よつて、申立人からする本件同居請求並に婚姻費用の分担請求はその数額を定めるまでもなく理由なく失当としてこれを却下することとする。